昭和40年代、全国各地の金属鉱山が次々と閉山となっていく中で、鉱脈が豊富だった明延鉱山は閉山を知らないヤマとして全国から鉱山労働者が生活を求めて集まってきた。しかし、円高による国内市況の変化から、その有望なスズ鉱脈を残したまま昭和62年3月11日、明延鉱山はついにヤマを閉じた。 ところがどっこい、鉱山の一円電車を愛する人々の願いは今も生き続け、明延の村はその復活に夢を馳せている。