久恒鉱業葛v恒志岐炭鉱 熊本県天草郡苓北町志岐(しき) (2001年3月11日撮影)


 久恒志岐炭鉱(最寄駅・三角)は、牛の迫坑があり、無煙炭を産出し、月間出炭量7000トン、 従業員360名、請負50名の規模を有していたが、昭和50年閉山した。

 天草郡苓北町(れいほくまち)には、その他、
   九州無煙炭鉱叶[江炭鉱(所在地・坂瀬川73-1、労務者20、最寄駅・三角)
   九州無煙炭鉱轄竦」川炭鉱(昭和40年8月20日消滅登録)
   現権山炭鉱釜a久登炭鉱
   水無炭鉱(昭和39年3月18日消滅登録)
   日南鉱業椛謗l竹ノ迫炭鉱(所在地・坂瀬川、昭和41年12月16日消滅登録)
   日南鉱業叶V小松炭鉱(所在地・都呂々、昭和42年8月19日消滅登録)
   日南鉱業樺|ノ迫炭鉱、第二竹ノ迫炭鉱(所在地・都呂々、昭和44年6月25日消滅登録)
等があった。(福岡通産局編 昭和45年6月1日現在・九州管内炭鉱名簿より)

 苓北町は、昭和30年、坂瀬川村、志岐村、富岡町が合併したもので、翌31年、都呂々村がこれに編入して現在の苓北町となる。
 志岐の産業は農業と鉱業が中心であったが、石炭の斜陽化に伴い次々と炭鉱閉山となり、昭和50年久恒志岐炭鉱閉山をもって、 志岐の鉱業は消えた。現在の志岐の生活依存は公務員、施設従業員によるものが多い。
 志岐小学校の児童数も、昭和30年677名、同38年が最多の951名であったが、この頃から相次ぐ炭鉱閉山とともに、昭和51年、 児童数は321名まで急減した。その後300名前後に落ち着いていたが、最近は少子化現象で減少しつつあり、平成14年度は175名で ある。
 (苓北町立志岐小学校ホームページ参照)


久恒志岐炭鉱 牛の迫坑
(熊本県-新風土記-昭和33年1月発行 岩波写真文庫より)

教職員宿舎等が建つ住宅地入口に、石炭ブロックからなる石碑の台座が残る

 

 

 先の場所から数百メートル離れた空き地に石炭のボタが多数散らばっていた。地元の人の話では 「かつてここに炭鉱会社があった」という。

BACK