国道190号線から入ってすぐのJR宇部線踏切を渡ると目の前に墓地と懐かしい感じがする古びた木造家屋が目につく。その辺りが長生(ちょうせい)炭鉱があった場所である。国道沿いと違って、炭鉱があったこの海岸沿いは開発が遅れ、それが逆に昔の懐かしい風情を残す結果となっている。
長生炭鉱は大正3年に開坑され、800名の鉱職員を擁していた時もあったが、昭和17年2月の水没事故により閉山した。炭鉱のあった海には排気と排水の役目を持ったピーヤが2本残り、その下の坑道には犠牲者183名が今も引き上げられないまま眠っている。近くにはその慰霊碑が建ち、また、辺りには今もわずかながら旧炭住が残っている。
長生炭鉱は宇部炭田のひとつで、長生炭鉱に隣接して北側の新浦地区には新浦炭坑があった。宇部炭田は周防灘の海岸線に沿った浅い地層に存在するため、その新浦炭坑においても大正9年に海水浸水で34人もの死者を出す事故を起こしている。
旧炭住(2005年7月27日撮影)
車庫の裏に坑口が残る(2005年7月27日撮影)
旧炭住に残る坑口(2005年7月27日撮影)
坑口から延びている炭車のレール(2005年7月27日撮影)
閉鎖された坑口の中の様子(2005年7月27日撮影)
旧鉱業所(2005年7月27日撮影)
旧鉱業所の中の様子(2005年7月27日撮影)
旧炭住(2005年7月27日撮影) 家の中から顔を出す年配の女性があり聞いてみた。「ここは元炭鉱社宅であった所で、今はアパートとして借りている。家主さんの家はすぐ隣で、元炭鉱主だった。」と教えてくれた。
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