旧中川煉瓦製造所は明治の1883年、県内で最初にレンガの製造を始めた。明治の末にホフマン窯を
導入、大正時代には年数100万個のレンガを生産した。ホフマン窯はドイツのフリードリッヒ・ホフマンが発案。かつては日本
に50箇所近くあったが、現存するのは4箇所だけ。同会社は昭和42年までレンガを製造し、その後屋根瓦に転換した。 中川煉瓦製造所のホフマン窯は長方形で長さ55メートル、煙突の高さ33メートル。同地には、レンガ造りの本店 事務所、機械場も残っている。これらは同年6月17日に開かれた国の文化審議会で、国登録有形文化財に登録するよう答申された。 なお、敷地は現在近江八幡市が管理し、窯の隣に特別養護老人ホーム「赤煉瓦の郷」が建っている。
後方の山は凝灰岩採取場。凝灰岩は大規模な火山噴火に伴う大量の
旧中川煉瓦製造所本店事務所
同上
機械場
機械場に残る真空土練成型機。昭和のもので、瓦の成形に使用したものと思われる。
同上
ホフマン窯の中の様子
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