上尊鉱業株式会社糒炭鉱は、在籍鉱員647人、出炭量は月平均1万2800トンを出す、中小炭鉱の代表的なビルド鉱であり、保安法規上乙種炭鉱であった。昭和44年3月18日閉山した。
上尊鉱業株式会社は、この糒炭鉱のほか、昭和35年9月20日水没事故のため67名の犠牲者を出した豊州炭鉱(福岡県川崎町)を所有し、中小炭鉱の上位に位置していた。また、同社は本社を東京に置く上田鉱業株式会社と同系列の会社でもあった。
この糒炭鉱においても、昭和38年12月13日午後11時20分ころ、新たに採炭を開始した切り羽において爆発があり、死者10名、重傷者1名を出している。それは、同年11月9日福岡県大牟田市 三井三池鉱業所三川鉱第一斜坑で起きた死者458人、CO中毒患者約839人の犠牲者を出すという炭じん大爆発の大惨事からまだ間がない時であったため、関係者を深刻にさせ、相次ぐ炭鉱事故に関して当時国会においても論議された。
糒炭鉱とボタ山(昭和40年4月5日彦山川糒堰から撮影)
糒炭鉱とボタ山(昭和40年2月13日れんこん堀から撮影)
平成筑豊鉄道伊田線(旧国鉄)糒坑入口踏切
ボタ山を削り取った跡地に建つ田川市立病院等(2004年8月3日撮影)
糒炭鉱社宅跡地に建つ市営住宅(2004年8月3日撮影)
中村さん(当時39歳)と糒炭鉱社宅(昭和45年10月4日撮影)
中村さんの奥さんと糒炭鉱社宅(昭和45年4月13日撮影)
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