貝島家累代之墓と肉弾三勇士之墓  京都市東山区東山五条

貝島家累代之墓(大正3年10月30日建立)

同上(2002年4月7日撮影)

 貝島炭鉱の創始者貝島太助以下親族8氏の名が連名されている。「筑前直方町」とは現在の福岡県直方市(のおがたし)のことである。

肉弾三勇士之墓(2002年4月7日撮影)

 京都・東山五条に「お西さん」として親しまれている西大谷派の広大な墓地がある。その中に、昭和7年2月22日、日支事変で爆弾を抱えて敵陣に突入したという肉弾三勇士之墓がある。その三勇士の一人として「江下武二」の名が刻まれているが、彼が九州筑豊の炭鉱労働者であったことは現在ではほとんど知られていない。戦時中、炭鉱経営者は、これを滅私奉公の模範として石炭増産運動に利用し、戦意高揚に努めた。そして、浄土真宗の宗門もまた「三勇士は我が真宗の門に出ず。これ栄誉なり」として巧みに利用していった。
 その三勇士之墓のすぐ傍に、偶然かどうか、貝島炭鉱の創始者・貝島太助が眠る「貝島家累代之墓」がある。先の江下武二の両親と兄2人はかつてこの石炭王と呼ばれた貝島太助経営の岩屋炭鉱(佐賀県)で働いていたといい、これまた偶然にしては出来すぎた話ではないだろうか。
 なお、この墓地の隅に三池炭鉱の労働者であった私の父もまた眠っている。
(上野英信・写真万葉録筑豊10「黒十字」を参照)

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