三菱古賀山炭鉱  佐賀県多久市東多久町 (2009年9月20日撮影)


 JR佐賀駅から唐津線で約20分の所に東多久駅がある。無人駅であるが、その待合室には 同町にあった炭鉱の風景写真が飾られてある。
 昭和24年、北多久村が人口増により町制を敷き、さらに同29年、北多久町、東多久村、西多久村、南多久村、多久村が 合併して多久市が誕生した。そのことは、18世紀に始まった石炭採掘の増大により、中小炭鉱が各地に開坑し、それまで 主産業であった米麦を中心とした農作業に代わって石炭が主産業として発展していったことによる。
 しかし、昭和33年の多久原炭鉱閉山を皮切りに、多久市内にあった中小炭鉱が相次いで閉山して行き、昭和47年、多久 市内最後の炭鉱であった新明治佐賀炭鉱が閉山、町もいっきに賑わいを失っていった。
(多久市ホームページ参照)

JR東多久駅

 

三菱古賀山炭鉱竪坑やぐら

 「宇部三菱セメント」と記名された施設に「三菱古賀山炭鉱」の名残りをみる。

三菱古賀山炭鉱竪坑やぐら

旧三菱古賀山炭鉱住宅

 

三菱古賀山炭鉱竪坑やぐら

 写真、学校グラウンドの手前にJR唐津線が走る。

旧三菱古賀山炭鉱住宅

 「炭鉱がまだあった頃の多久東部小学校には学童1000名位が在校していたが、現在は 極端に少なくなった。炭鉱住宅は市営住宅等に転用されて今も残っているが、住人はほとんどがお年寄りばかり。 そのお年寄りが病院へ行くのにタクシーを利用してくれる。あなたのように観光で来てくれる人はほとんどいない」と、 案内してくれたタクシー運転手が語った。

BACK