車では見過ごしてしまうことでも、周囲の景色に関心を持って歩いてみると、「わが町にもまだこ
んな場所が残っていたのか」と不思議な気持ちにさせられることがある。
明治29年に創立されたという古い歴史を持つ近江鉄道の沿線を彦根駅から下り方面へ歩いてみた。その架線柱に、「住友構内」とか「近江帆布」という標識を見つけ た。これらは、近江鉄道の貨物輸送がまだ盛んだったころの名残りである。
近江帆布鰍ヘ、明治30年に設立され、後、彦根の近江紡績鰍大正11年に合併、近江帆布兜F根工場となった。近江紡績鰍ヘ
大正10年に設立された会社で、合併時の設備は約5万錘(錘=スイ。紡績で「つむ」の数を表わす単位)あり、昭和には約1万錘
を有し、帆布原糸を生産していた。 昭和35年11月10日営業開始した近江鉄道の貨物輸送は、トラックの進出により、昭和63年3月全廃された。
* 帆布(はんぷ)とは=帆布というと、船の帆を想像されるかも知れませんが、帆布とは英語のCANVAS、正確には1m2あたり
8オンス(約227g)以上の厚布のことです。昔は、薬屋さんが屋号を入れて病院に薬を配達したり、牛乳屋さんの配達カバンに使
われたり、大工さん、植木屋さん、酒屋さんなど職人用のカバンを主に作っていました。太平洋戦争中は、自由にものが作れる時
代ではなく、兵器のカバーや、零戦の搭乗員用バッグ、落下傘を入れる傘嚢(さんのう)なども作りました。戦後の登山ブームで
リュックや各種テントを手掛けるようになります。お客さんの希望などで、種類は徐々に増え、今では200種類以上もあるでしょ
うか。
沢山自動車教習所前。ここから近江帆布叶齬p線が本線から分岐。
彦根女子高等学校(旧 彦根高等技芸専門学校)前踏切。専用線はここから学校側へカーブ。
彦根女子高等学校沿いに専用線が走る。左側の木造平屋家屋には「朝総連」の看板が掲げられ、人の気配が伺えた。
彦根女子高等学校前踏切方面を写す
レールが近江帆布兜F根工場(現 オーミ緑地叶ホ材置場)へ向かっている
今も残る専用線の橋台(2005年1月4日撮影)
現 オーミ緑地叶ホ材置場から写す(2005年1月31日撮影)
|