三菱崎戸炭鉱 長崎県西海市崎戸町(旧・西彼杵郡崎戸町)


 炭鉱があった池島、さらに松島を左に見て、なおも北進すると大島大橋にたどり着く。
 同大橋を渡り、同じく炭鉱があった大島を過ぎて中戸大橋を渡ると崎戸島である。その崎戸町は現在、面積14.11ku、人口2515人、 世帯数1212世帯。炭鉱全盛期の昭和30年代の人口は1万人前後ではなかったかと推定する。
 観光名所のひとつとして、崎戸町歴史民族資料館が挙げられ、その周辺には、ここにかつて炭鉱があったことを物語る遺構がまだ多 く残されている。

 崎戸炭鉱は20世紀はじめの明治40年から九州炭鉱汽船の経営により採掘が本格化し、明治44年には三菱が九州炭鉱汽船の株の 半分を所有、販売権を独占して、昭和15年、経営は完全に三菱となる。そして、昭和43年3月20日閉山した。

 大島大橋が平成11年開通するまでの崎戸島は離島で、戦前までは、高島・端島と並んで「鬼が島」、あるいは「監獄島」と呼ばれ 坑夫たちに恐れられていた。
 戦時中には朝鮮人・中国人が強制連行されたところでもあり、長沢秀 編「戦時下朝鮮人・中国人・連合軍俘虜強制連行資料集」 (石炭統制会文書T 緑陰書房)によると、昭和19年12月現在における三菱崎戸炭鉱の労働力は、内地人3601人、勤労報国隊646人、 朝鮮人3002人、中国人424人の合計7673人とある。天見にはその朝鮮人寮(啓天寮)もあったらしい。

 なお、崎戸町は2005年4月1日、近隣4町の西彼町・西海町・大島町・大瀬戸町と合併して、長崎県西海(さいかい)市となった。


旧炭鉱社宅アパート(2006年8月19日撮影)

 

旧石炭積込み場(2006年8月19日撮影)

 

旧福浦発電所煙突(2006年8月19日撮影)

 

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