南越名海難者無縁仏之碑 (2006年8月20日撮影、案内人高田さん)


 長崎県野母崎半島の県道野母港線から古里地区へ入ると、道路沿いの山側に「南越名海難者無縁仏 之碑」がある。よく注意して見ていかないと生い茂った雑草の陰になって見落としてしまう場所である。
 この無縁仏之碑は、戦時中、三菱端島炭鉱(端島)に強制連行され苛酷な労働を強いられていた朝鮮人労働者たちがその辛さ に耐えかねて海に飛び込み対岸を目指したが途中力尽きて溺死、その死体が南越名の海岸に漂着し、当時の村役場が「行旅病人」 (ゆきだおれ人)として埋葬したものと言われている。
 現に「昭和20年頃、海岸に漂着した死体5、6体を川辺近くに埋葬した。朝鮮人であるか否かについては不明であるが端島 炭鉱の労務者ではないかと思う」という旧高浜村助役の証言がある。
 1986年(昭和61年)6月28日、長崎在日朝鮮人の人権を守る会 代表 岡正治(故人)氏の立会でその発掘が行われた。その結果、 4体の遺体が確認された。収容された遺体は火葬され、南越名海難者無縁仏之碑の下に改葬された。
(長崎在日朝鮮人の人権を守る会資料集「原爆と朝鮮人」参照)

南越名海難者無縁仏之碑

 現在の南越名海難者無縁仏之碑は、当初は村役場により立てられた木の墓標だった。しかし その後吉田氏が牧場へ至る私道づくりの必要性から位置を少しずらしその際に石碑にたてかえた。

南越名海難者無縁仏之碑

石碑の裏には「昭和51年 吉田義輝 建立」とある。

南越名海難者無縁仏之碑と端島

 写真奥の海上に見える島が端島(軍艦島)である。ここから約5キロの距離に位置する。この 三菱端島炭鉱で強制労働を強いられた朝鮮人は1939年(昭和14年)には500人にものぼるという。ここから脱出を図った者 たちはほとんど成功しなかったようであるが、中には無事に脱出し生き延びた人もいたことだろう。

 現に「鬼ヶ島」と昔恐れられた三菱高島炭鉱から脱出に成功した人がいることを、地元の船長から聞いた。高島は端島 から約3キロ離れた所にある。その人はのちに「娘への遺言」(1993年4月光文社発行)という本を出し、波乱に満ちた一生 を書いておられる。少し長くなるがその概略をここに紹介しておきたい。

 韓英明さん。1938年(昭和13年)、当時日本の植民地であった現在の韓国から15歳で日本に渡航した。朝鮮人であること を隠すため岡本茂を名乗り職を転々とし、「炭鉱員募集 8時間労働・日給4円」の貼り紙に惹かれて高島炭鉱へ渡った。 しかしそこはお金らしいお金ももらえない「労働監獄」のような所だった。仕事を休んだり逃げたりしてリンチを受けて いる者もいた。だまされたと思った。しかし韓さんは、朝鮮人であることがバレてひどい仕打ちをされるかもしれないと いう恐怖から、とにかく黙々と真面目に働いた。それが認められて島では自由に行動することが出来た。その散歩中に偶然、 海岸に打ち上げられている丸太を発見。と同時に、その丸太をめがけて走っている自分がいた。気がついたら他にも丸太に 向かって走っている男2人がいた。丸太につかまって3人で海を泳いだ。泳ぐことを休めば海へ沈んでしまう。とにかく必死 だった。そして丸太共々対岸の岩場へ打ち上げられた。そこは香焼町だった。3人で長崎市内を目指して歩いた。 パンツ一枚の姿だった。昼間は野小屋に隠れ夜歩いた。途中、「東京音頭」が聞こえてくる一軒の料亭が見えてきた。「余り 物でもいいから何か食べさせてほしい」。そう思って台所に向かいおそるおそる戸を開けた。若い芸者さんと目が合った。 その若い芸者さんは3人の格好を見てすべてを察っしたのかおにぎりを作ってくれた。そのおにぎりをほおばりながら涙が口 のなかに流れ込んだ。その時韓さんは17歳。「あのときの感謝の気持ちは一生忘れない」という。
 その後筑豊の炭鉱などを転々としながら姫路を経て東京へ。日本名「清水英明」の子供として長女が生まれた。昭和27年、 30歳の時だった。娘はその後女優になった。娘が有名になると今度はある一流の新聞社の記者から「あなたの旧姓も過去も よく知っていますよ」という手紙がきた。「ハッハッハ」と笑い声まで書いてあった。人の戸籍謄本を勝手に手に入れたのだ。 ゾッとした。悔しかった。そういうことがあって韓さんは帰化を決心した。
 そして70歳。胃を切除した韓さんは「死ぬ前にもう一度九州に行きたい。すべての出発点である炭鉱のあった高島や筑豊に 母さんを連れて行ってやりたい。」と思った。しかし高島も筑豊もすっかり変わっていた。記憶の中の風景はすでに無くなっ ていた。同行した「女性自身」の記者も「50年も経っていますからねえ」と残念そうだった。最終日にもう一度高島を訪れた。 島から泳いで行った道をどうしてもたどりたかったからだ。
 韓さんは船のへさきに立って目前に迫ってくる岸辺をジッと見つめた。岩の形、断崖の高さ、がけの上の木々・・・。 記憶の中の風景と照らせ合わせていった。すると、ピタリと合う場所があった。「ここだ! 母さん、ここなんだ! ここに 泳ぎ着いたんだよ! 」「お父さん、ここなんですね・・・ここなんですね・・・」。母さんは何度も何度も大きくうなずいた。 生きるために泳ぎ着いた岸辺が、這い上がった崖が、涙でにじんでいた。母さんの小さな肩も震えていた。

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