誤解を招くといけないので最初に断っておくが、九州にあった三池炭鉱と岐阜県土岐市にあった東濃(とうのう)鉄道が直接鉄路でつながっている というわけではない。私のふるさとは三池炭鉱があった熊本県荒尾市。1961(昭和36)年、かつてその三池から炭鉱離職者家族が岐阜県土岐市へ渡っ ていったという生活史を心情的に表現したものにすぎない。 そんな第二のフルサトとも言うべき岐阜県土岐市を8月5日私は訪ねてみた。九州から土岐市へ移り住み、また他所へ旅立つ1963(昭和38)年8月から 数えて48年振りの帰郷(?)である。名古屋駅で中央本線(中津川行き)に乗り換え、いくつかの長いトンネルを過ぎると多治見の町があり、そして 土岐市が近づく。これまで土岐市をさほどフルサトと思わなかった自分であったが、胸の鼓動が高まる。土岐市駅に着いたときにはグッと込み上げて くるものがあった。かつて、ここでまた乗り換えた鉄路はすでに廃線となっていた。 東濃鉄道駄知線。土岐津駅(現・土岐市駅)から東駄知駅までの10.4キロの区間を走っていたが、1972(昭和47)年7月13日に発生した集中豪雨に より、土岐津駅から神明口駅間にある土岐川鉄橋が流失、資金難により復旧困難となって、2年後の1974(昭和49)年10月21日、運行休止状態のまま 廃線となった。代わりに今は、名鉄グループの東濃鉄道バス(通称東鉄バス)が運行されているが、思い出深き鉄道跡を自分の足で歩いてみることに した。
JR土岐市駅から出てすぐ右側に土岐津駅があったが、現在は駐車場になっていて、当時の面影は何もない。しかし、その細長い駐車場の終わり
の所に、レールが取り外された橋げたが残っていた。それを少し過ぎた地点から、線路跡が散歩道あるいはサイクリングロードとして始まっていた。
そしてまた5分程歩いた所に「神明口駅」と思われる場所があった。自動販売機の後方に、高さ約60センチの石垣があり、広い駐車場となっていた。
ここがプラットホームだった所かも知れない。神明口駅は、地場産業である陶器等の積み下ろしの貨物駅でもあった。
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