本山炭鉱斜坑坑口  山口県山陽小野田市本山

 本山炭鉱斜坑坑口は、長門本山駅より徒歩10分ぐらいの所の住宅地の中にある。
 山陽小野田市は、2005年3月22日に小野田市と厚狭郡山陽町が合併して誕生した街であるが、旧小野田市はかつては干拓と石炭産業で栄えた町であった。しかしこの町が炭鉱で栄えた証拠は現在残り少なく、そんな中、1998年3月23日、旧本山炭鉱斜坑坑口が市指定文化財となった。
 同所は大正6年大日本炭鉱が設け、大正10年経済不況により採掘を中止したが、その後昭和10年宇部鉱業鰍ェ引継ぎ、同16年に完成させ、同18年より宇部興産鰍ェ引継いで、昭和38年の閉山まで使用されたものである。
 かつてはこの坑口の横に事務所があり、周りには炭住が建ち並んでいた。今は分譲地となり、炭住の跡に新しい住宅が建ち並んでいる。この坑口跡がなければ、ここに炭鉱があったことなど想像ができないほどである。
 その他、長門本山駅から海岸方向へ徒歩5分、きららビーチと反対側の所に、本山炭鉱から採掘された石炭を船に積み込んだ桟橋の跡がある。昭和12年、石炭の輸送のため宇部電気鉄道が開業した現在のJR線は、長門本山駅が終点となっているが、昔はこの桟橋までレールが延びていて、石炭を船に荷揚げしていたという。

市指定文化財 旧本山炭鉱斜坑坑口(2005年7月27日撮影)

 明治20年宇部興産の渡邊祐策は本山炭鉱組合を設立以後、一の山炭鉱、本山炭鉱梶A大日本炭鉱梶A宇部鉱業梶A宇部興産鰍ノ引継がれるが、地質が悪くガスを伴う出水などの事故により、97名の尊い命が失われた。
 この坑口は、大正6年大日本炭鉱鰍ェ主要運搬坑道として設け、昭和16年に宇部鉱業鰍ェ完成させ、昭和38年3月に坑口を閉鎖するまで使用された。坑道は沖合約3キロメートル、最深部約200メートル、総延長約19キロメートルに及んでいる。形状は鉄筋コンクリートづくりで側面は石組み、特徴は坑口の忍返しである。
 当市の工業の基盤となった石炭産業を伝える建造物として貴重なもので、昔の面影をしのぶことができる。(山陽小野田市教育委員会)

炭住跡に新しい住宅が建ち並んでいる(2005年7月27日撮影)

現在児童公園の炭鉱事務所跡。民家の裏側は坑道が延びていた海である。
(2005年7月27日撮影)

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