かつて三井山野炭鉱で賑わった稲築町の人口は2004年11月末日現在で約2万人。しかし、明治31年に三井山野炭鉱が開坑され、「石炭」が「黒ダイヤ」ともてはやされていた時代、人口も4万6千人を越えていた。その三井山野炭鉱も昭和48年3月閉山。かつての賑わいは稲築町から遠ざかって行った。
JR後藤寺線 下鴨生駅(2000年3月27日撮影) 「下鴨生」と書いて「しもかもお」と読む。かつて炭鉱で栄えた筑豊地方の栄枯盛衰を見ているような木造駅舎である。後藤寺線は、筑豊本線・新飯塚駅〜日田彦山線・田川後藤寺駅間を結ぶ総延長13km余りの非常に短い路線で、列車は1時間に1本程度しかなく、現在無人駅となっている。昭和31年に建設された。
旧三井山野炭鉱社宅案内図(2000年3月27日撮影) 稲築町平に所在する旧三井山野炭鉱社宅案内図。現在は町営住宅として活用されている。同案内図の上部左寄りに「プラスチック工場」と記されている所があるが、ここに「旧炭鉱職員クラブ」があった。
五坑鑛夫倶楽部(2000年3月27日撮影)
この旧炭鉱職員クラブは「五坑鑛夫倶楽部」と呼ばれ、炭鉱の従業員の福利厚生施設(娯楽施設)として建てられたもので、踊りや芝居などが行われていた。
三井山野鉱業所発行「山野」第38号(昭和4年6月15日付け)に、次のとおり「五坑鑛夫倶楽部新築」の記事が掲載されている。
【本 館】木造平家建洋風 屋根は黒色石綿スレート葺 壁内部腰廻り竪羽目ペンキ塗 大壁及天井とも木摺漆喰仕上外部見打ちペンキ塗
◎建 坪 総計86坪57(本館:64坪75、附属日本間:15坪 附属便所 6坪82)
建築にあたっての工夫として「内部の構造については、舞台に一段と手を尽くし、イルミネーションにはシーリングライトに加うるに青赤白の三色ボーダーライト以てし、これらを自由に切り替え得る様スイッチの装置を施し、光度及び色合いを調整して常に舞台に現れる場面に適当した光をなげるよう・・・。」と記載されている。
なお、昭和10年2月には、倶楽部隣接の地に図書館が新築されている。図書館は洋風ペンキ塗りのスマートな建物で、1階23坪25、2階20坪。読書室は、15畳の日本間で床の間には違い棚をもち、広縁には安楽椅子が設けられるなど、気分良く閲覧されるように工夫されていた。(2004.12.15 稲築町役場)
(2000年3月27日撮影)
(2000年3月27日撮影)
(2000年3月27日撮影)
2004年10月末頃、前記炭鉱職員クラブは取り壊された(写真提供:奥永さん)。
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