(提供写真) 映画「筑豊のこどもたち」(1960年・東宝)にエキストラで出演した明治赤池炭鉱の人たち。後列中央に俳優の加東大介、その左に炭鉱の子を演じた沖村武。同少年は映画「にあんちゃん」(1959年)でも活躍した。
赤池鉱業所保育園(昭和33年3月撮影 )
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ガラ箱 (提供写真) 当時、自転車はもちろん、子供の三輪車も高価なものだった。私個人としては結局買ってもらったことはない。
昭和34年正月 (提供写真)
煙を吐くのはエントツ付き七輪。燃料は、会社が家庭用に配給した石炭であるらしい。質はあまり良くなく、地元の人はその石炭を「おこり」と呼んでいたという。エントツは、石炭の燃焼をよくするためと、もうひとつ、煙りにまかれないためらしい。その煙がおさまってくると、七輪を台所に持ち込み、煮炊きに利用した。
共同水汲み場 (提供写真) 三井三池の炭鉱住宅にも共同水汲み場があった。ここでバケツ等に水を汲み、台所に備え付けられたカメに水を溜め、炊事や飲み水に利用した。
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社宅共同浴場 (提供写真)
社宅のクリスマス会(提供写真) おにぎりやみかんが並べられてある。私個人はそういう記憶がない。
(提供写真) 男たちの鉢巻には炭労のマークと「赤池」と記されてある。ヘルメットにヤッケを着用した男2人の鉢巻には「炭労」と記され、「石炭政策転換闘争」のタスキを掛けているところから、昭和37年撮影と思われる。
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