明治鉱業赤池炭鉱の殉職者鎮魂碑が、赤池町赤池の町民会館そばに建立されている。元々は現在地の約1キロメートル西に昭和初期建てられた古い慰霊碑があったのだが、同炭鉱の閉山後、山の神があった場所に倒壊したまま放置されていた。これに心を痛めた地元の元炭鉱関係者らが、1990年に再建委員会をつくり、ボタ山を取り崩し整地した町有地に再建場所の提供を受け、新たに赤池炭鉱殉職者鎮魂碑として1994年1月着工にこぎつけた。上部に取り付けられている黒い四角すいは、ボタ山を表わしている。
いくつかあったそのボタ山も無くなり、かつて炭鉱で暮らした人たちの記憶も遠のいてしまったようであるが、こころのなかの思い出はいつまでも消える去ることはない。
明治鉱業赤池炭鉱は1899年開坑、1970年に閉山したが、その約70年間に記録されているだけでも520人が事故で亡くなっている。そのうち約30人が女坑夫であり、第二次世界大戦末期には、強制連行されてきた朝鮮人坑夫29人も亡くなっている。また、昭和19年10月には83人の死者を出した炭じん爆発事故が起きている(1994年7月13日付け朝日新聞参照)。
(2004年8月3日撮影)
昭和20年代後半からのエネルギー革命により、今やその使命を終えたとはいえ、明治以来、大正、昭和の長きに亘って、日本の驚異的な産業経済の発展を喚起し索引し、激動時代を支え続けてきたものは、正に石炭産業であり、炭鉱に働いた幾多の人々であります。
赤池町は筑豊炭田の一翼を担う明治鉱業株式会社赤池炭鉱によって最盛期には1万7000余の人口を擁するほどに栄え生活する人々の活気は強力なエネルギーとなって町全体を潤していました。
昭和45年1月、時代の趨勢(すうせい)には抗し難く、終に全面閉山の已むなきに至りましたが、この間尊い一命を報じて殉職された520名の方々の、国を富ませ、町を富ませた功績に対し、心から敬意を表するために、ここに鎮魂碑を再建し末永くご冥福をお祈り申し上げます。
平成6年5月吉日 赤池炭鉱殉職者鎮魂碑 再建委員会
(同碑文より)
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