三菱方城炭坑  福岡県田川郡福智町大字伊方(旧方城町伊方)

 三菱方城炭坑。明治35年開坑。昭和37年閉山。しかしその後、方城炭坑株式会社として人員を縮小し再び操業を開始したが、昭和39年、完全に閉山となる。

 その長き歴史の中には、言い尽くせない話も多くあった。
 その一つに、三菱方城炭坑ガス爆発事故がある。1914年(大正3)12月15日午前9時40分、この三菱方城炭鉱で炭塵大爆発が起きた。死者671人(会社側発表)、内男性540人、女性131人。しかし、実際の犠牲者は千人を超えていたのではないかという説もある。これを「大非常」と読んだ。「非常」とは、「日常」の反対言葉で、坑内事故を指して言った。

 もう一つの言い尽くせない話に、朝鮮人強制連行強制労働のことがある。国策により、大東亜戦争中の昭和15年から終戦の昭和20年の間、「徴用」あるいは「募集」という名のもとで朝鮮半島の人々を日本国内に強制連行し、ここ三菱方城炭坑にも3217人(昭和19年1月末現在 福岡県特別高等課「労務動員計画ニ依ル移入労務者事業場別調査表」より)を移入させ、坑内等で労働させた。三菱方城炭坑の「山の神」周辺に炭住を利用しての朝鮮人労働者強制収容所が三箇所あったという(方城町教育委員会「方城かたりべ」より)

 また、囚人たちを鉱夫として強制労働に使役していた時代もあった。昭和19年方城炭坑へ囚人103人を投入。昭和20年8月13日三菱方城炭坑に福岡刑務支所を設置した(1977年「赤池町史」より)。

 

(2008年6月9日撮影)

 2006年3月、方城町は金田町・赤池町と合併し福智町となったが、かつて旧方城町は三菱方城炭鉱を中心とした炭鉱が町の経済を支えていた。写真、道路左側に三菱方城炭鉱があった。同所は現在、九州日立マクセルの工場となって、かつての炭鉱に代わって町の経済を支えている。
 同工場前の西鉄バス停留所名は「職員区集会所」。そのバス待合所に「方城購売」という、以前のバス停名が今も残っていた。道路右側には三菱方城炭鉱の社宅が建ち並び、同炭鉱の購売店があったことから「方城購売」というバス停名になったという。
 また、写真上の坂道は、かつて「百円坂」と呼ばれ、高給取りだった炭鉱職員を指してうらやむ対象であったという。坑夫が休みなしに働いて月20円ほどの時代のことである。

(2004年8月3日撮影)

 町営住宅として使われていた旧三菱鉱業方城炭坑社宅。その町営住宅も現在は新しく建て変わり、一部まだ残る旧職員社宅を除いて、炭鉱時代を物語る風景も少なくなってきた。

(2004年8月3日撮影)

 三菱方城炭坑時代の旧事務所が、現在の九州日立マクセル工場正門前付近に残っていたが、現在 は残念ながら取り壊されてしまった。

(2008年6月9日撮影)

 九州日立マクセル工場に残る旧三菱方城炭鉱坑務工作室(国指定登録文化財)。ここに取り付けら れていた大扇風機から爆発を起こした坑内へと送風されていたという。その先に竪坑があって、同所は現在埋められ工場の駐車場となっているが、その270メートルの地の底には、救出されなかった方城大非常の犠牲者が今も多く眠っているという。
 なお、同産業遺産は原則一般公開はしていないという。そこを「わざわざ滋賀県から来てくれたのだから」と言って工場構内へ入れてくれた。

(2008年6月9日撮影)

 国の登録文化財に指定された先の工作室の他に、レンガ造りの古い建築物があった。

(2008年6月9日撮影)

 これは三菱方城炭鉱の浴場であったという説明。

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