地下に眠る殉職者の慰霊碑  山口県宇部市 常盤自然公園

 1988年8月6日、「ヤマを去って20年」記念の集いが宇部市総合福祉会館で開かれた。
 会が進み、話の輪がひろがり、熱気が高まるにつれて、「俺たちが生活していたヤマはいったいどこに消えたのか。このままでは市民の目からほどなく忘れられ、捨てられてしまうのではないか」という言い知れない寂しさ、悔しさが込み上げ、「俺たちはもう高齢だ。命のあるうちに何らかの形でこの町にヤマで生きてきた者たちの生活があったことを次の時代に残さなければ」との気運が盛り上がり、宇部・小野田両市の炭鉱跡に、地下に眠る殉職者の霊をお祀りす る「慰霊碑」を作ろうという話になった。
 しかし、宇部市は「慰霊碑では宗教的過ぎて政教分離の原則に反する」と難色を示した。その真意は、宇部市近代化の形成に一翼を担ってきた宇部興産に遠慮をしていたのかも知れない。そんなことから慰霊碑を改め「宇部炭田発祥の地記念碑」とすることとし、設置場所に常磐湖の公園の一角を選定した。
 常磐湖は元禄10年、宇部領主がかんがい用に建設した周囲12キロの山口県最大の人造湖である。ある時、日照りにより湖底が露出した時があった。そのときである。300年前の石炭採掘の遺構と、採掘に従事した人々の生活跡が発見されたのである。見物に来ていた関係者や一般市民全員が一瞬声を呑んだ。用水確保の犠牲となった「ヤマの悲劇」をはじめて目にしたのである。
 建立準備委員会がここを記念像建立の最適の地と選定したことにどこからも異論は出てこなかった。
 こうして、平成3年11月、"宇部炭田発祥の地"である常磐公園内に「坑夫」像(荻原守衛 作)が元石炭関係者及び市民の寄付により建立された。
 「俺たちが赤旗をふり、肩を組んで歌い、妻や子供や親父たちとしばしの安らぎの日々を過ごしたあの社宅の跡はどこに消えたのか。硬はらで生き、硬はらで闘ったヤマの仲間たちの喜びや哀しみが、どこにもやり場のない怒りが、孫やそのまた孫たちや、多くの人々に届いてほしい」という願いが、常磐湖畔に建てられた「坑夫」像に凝縮されているのである。(参考書籍:炭労)

地下に眠る殉職者の慰霊碑・坑夫像
(1999年6月25日撮影)

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