高島石炭資料館 (2006年8月20日 撮影)


高島石炭資料館

 港から数分の所にある石炭資料館は、昭和63年、三菱高島炭鉱労働組合跡に開設された。
 同所に設置された来館記念ノートには、単なる観光客の他に「ここを故郷として閉山により離職した者の家族」や 「三菱大夕張炭鉱の元書記長」という人たちのメッセージも記されていた。

炭鉱夫像

 

岩崎弥太郎像(2005年建立)

 岩崎 弥太郎、1835年1月土佐国(現在の高知県安芸市)生まれ。三菱財閥の創業者である。 明治18年(1885年)、50歳で亡くなった。
 弥太郎の娘婿から加藤高明及び幣原喜重郎の2人の内閣総理大臣が輩出されており、三菱が国家と密接な関係にあった ことが伺えられる。
 この岩崎弥太郎像は2005年に建てられた。閉山後間もなくに建てられたのならまだしも、1986年(昭和61年)11月の閉山 から20年を経過して突然建立されたこの巨大な像に違和感を感じるのは私だけだろうか。岩崎弥太郎はどこを指差して いるのだろう。三菱発祥の地とされている高島全体を示しているのだろうか。そうだとしたら、富をもたらした昔の高島 を指しているのか、それとも閉山により貧を招きいれた今の高島か。

 高島には昔から人々が大切にしてきた「五平太の像」があった。五平太伝説は九州各地の旧産炭地で聞かれるところ であるが、ここ高島でも宝永7年(1710年)、平戸の領民・五平太が石炭を発見し採掘したと言い伝えられている。その五平 太の像は今はない。三菱が今も高島を大事に思うなら、その「五平太の像」も再建してほしいと願う。

明治時代建設の南洋井坑(なんようせいこう)排気坑跡

 

防波堤

 炭坑開発のため海を埋め立てて炭坑施設用地とする際に築かれた防波堤。その防波堤の 長さが百間(約180メートル)位あるところから、この先の地名が「百間崎」と名付けられた。
 昔、防波堤のすぐ前は海で、精霊流しが行われたりしていたという。

BACK NEXT